どん底から忙しい日々の想い出
平成建築業界の大不況時代が過去あった。
そのほんの少し前に、
当時、北陸最大級と呼ばれた巨大ショッピングセンター建設工事に、
クリーニング屋の俺に声が掛かった。
時給1000円やったけど、
何故か職長として抜擢されて、
朝6時半に家を出て、夕方17時まで仕事して、
帰宅するのは毎日遅かったけど、それでも仕事は楽しかった。
本隊があって色んな工区に分かれてたんやけど、
気付けばA工事クリーニングの職長になってて、
毎朝500~600人規模の職人朝礼の雛壇に立っていた自分に陶酔した。
本体工事が終わりかけてきた頃に、C工事と呼ばれる、
いわゆる内装業者が毎日1000人規模で現場入りしたのにはビックリした。
駐車場には、北は北海道から南は沖縄ナンバーまでビッシリで、
どんだけのネットワークがあるんや?と(°д°)
そのなかでたまたま知り合いの地元業者の看板入ったトラックを見つけて、
顔見知りの現場監督に、「仕事ください」と、お願いしたんやわ。
その頃俺もその会社ではある程度実績あったんで、
「ついでやし、支店の物件もやってみる!?」と言われたのがキッカケ。
それがまだ続いてるとこが、持ってるトコやと思う。
最初の頃はダメだし散々喰らったけど、
「はい、OKです!」と、今じゃもうチームの一員として認めらてる。
でも、ここまでの道のりは短くなかったよ。
下請けが下手こいたら、元請けにまで責任及ぶから、
とにかく安全第一と、他職さんが仕上げた作品をキレイにしてお施主さんに渡すのが、
我々クリーニング屋の仕事。
そして、仕事を振ってくれた現場監督さんに対して、
恥をかかさせない事も、チーム職人の義務やと思ってる。
人間やもん、誰やって失敗はあるわいね。
でもね、一度や二度の失敗や経験を積んで、
同じ失敗を繰り返さいないのが普通やと思うんやわ。
俺の取引先及び、プライベートな人達は皆常識あって、
ストレス無く気持ちの良い人達。
有難う、こんな俺に付き合ってくれてホント感謝感謝です。
m(--)m
俺、すっごく恵まれてる(^0^)ゞ