六道
酔っ払わんうちにログしておこう。
仏教のネタなんやけど、今回のは大乗仏教の話。
仏教にも色々あってよう分からんのやけど、
いわゆる四十九日とか何周忌法要の話も含めて、
今まで思っていた事との思い違い(?)も含めて書いてみたい。
臨終したらあの世に向かう暗くて長いトンネルがあって、
開けてきたら、そこから険しい山を登っていくんやって、
んで、登山にくじけそうになるのを応援するのが読経だそうな。
険しい峠をようやく超えたら、今度は河があるんやって、
いわゆる「三途の川」である。
その河原が「賽の河原」で、
親より先に逝った子供はここでずっと足止めされるので、
多分俺はここでずっと石を積み上げる日々を過ごすと思う。
三途の川を渡るには色々と手段があるそうで、
手っ取り早く渡るには、真田家の家紋で有名な六文銭が必要になる。
でも、今はそんな習慣あるんやろうか?
三途の川を渡れた死者がようやく「あの世」へ辿り着ける訳で、
渡れなかった死者は、あの世にすら逝く事が出来ない。
そっからは俺でも知ってる七日ごとの審議があって、
閻魔大王は10人中の5番目の審議官だそうな。
それを遺族たちが、故人が極楽へ逝けますように!
と祈るのが法要の意味だそうで、
逆にいうと、「地獄に落ちませんように!」との解釈もある。
一発で天国へ逝ければいいんやけど、
色んな裁判のもとで地獄行き先が決まるらしい。
地獄にも色々あって罪のレベルで行き先が決まるらしいけど、
「人道」という地獄が興味深い。
輪廻転生を基にした話なんやけど、
人間も生きてりゃただ楽しいことばかりやなくて辛いこともある。
そういう意味で、ある意味天国では無いらしい。。。。
極楽浄土の話は置いといて、
地獄に落ちた者の救済措置として、法要があるそうな。
ここで生前に、「葬式要りません!」「法要も要りません!」
と言ったことを、強く後悔しますよ。。。」
って、脅迫かよ?
宗派によって色々考えはあるけど、
俺は、死んだら「無」になると思ってる。
婆ちゃんが生きとった頃には、
骨の一部を京都の本願寺へ持っていくとかあったけど、
今はどうなんやろうね?
六文銭を入れる風習ってまだあるのかな?
戒名にしたって今時はパソコンソフトで作れる時代やし、
それで「院号付けときましたから〇〇万円くださいね♪」とか、
「30万円コース、50万円コース、
100万円コースもありますよ♪」
「お金で徳を買えますよ♪」
って、その金額はどっから出てくるん?
「見積書を出してください」と言いたくなるわ。(笑)
地獄の沙汰も金次第とはよく云うけど、
人の弱みにつけこむ乞食坊主は、
間違いなく、「餓鬼道」に落とされるわな。www
まぁ俺の場合も、運良く賽の河原を抜けたとしてでも、
普段の行いが悪いから、極楽行きは絶対無理やろうな(^^:
さーて、明日も仕事頑張ろう(^0^)ゞ
ブログランキングに参加中!励みになりますんでポチッと押してくださいね♪